「不可能」に挑戦するあなたへ 【弥生時代の古代アフリカの英雄の心掛け】
皆さんこんにちは!
この記事は挑戦し続けている皆さんに確実に役に立つコンテンツです。
今回の舞台はイタリアやスペインがある地中海です。
ハンニバルという男
ハンニバルは現在の北アフリカのチュニジアに存在したカルタゴという国の人です。
当時のカルタゴとローマは戦争を繰り返し、カルタゴは負けを繰り返していました。
戦争で敗北を繰り返し、ローマから幾度も厳しい条約を結ばされていました。
そんなカルタゴが弱体化し、ローマが強大化していく中、カルタゴのハンニバルは祖国
のために立ち上がりました。
もはや地中海では敵なしのローマが恐怖にあえぎ、畏怖を覚えたハンニバルという男の
英雄たる要素を書いていきます。
「不可能」に挑戦する心得① 不可能を逆算し細分化する
ハンニバルは75万人の軍隊を持つローマに対して、5万人の軍勢で挑みました。
誰もが思う「不可能」に挑みました。しかし、ハンニバルはそんな「不可能」を可能にするにはどうすればいいか考えました。
「どうすれば75万の軍勢に挑めるか」⇒「軍勢を増やせばいい」
「軍勢を増やすにはどうすればいいか」⇒「現地で集めればいい」
「現地で集めるためにはどうすればいいか」⇒「ローマに敵対心を持ってる種族を味方にすればいい」
と、このように逆算して「できる」ところまで細分化していました。
そもそも人が挑戦することに対して「無理だ、不可能だ」と感じるときは、その挑戦することに対して具体的なイメージをできるまで細分化できていません。
例えば、「日本人で初のアメリカ大統領になる」という夢は不可能に感じます。
しかし具体的にイメージできるまで細分化すると、最終的に「アメリカに行くために航空券をとる」というところまで分解できるはずです。
アメリカに行かなければアメリカの大統領にはなれる可能性はほぼ0なので(笑)
航空券をとることを不可能に感じる人は少ないと思います。ここまで細分化すると、「不可能」が「可能」になります。
「不可能」に挑戦する心得② 使えるものは全て使う
次に不可能に挑戦する心得として使えるものは全て使うということをハンニバルから学びました。
ハンニバルはアフリカの象を戦力としてイタリアに連れてきました。
しかし、象たちは馴な気候と、疲労により、ローマ軍を蹴散らすほどの力を持っていませんでした。
本来なら戦力外になってしまう象を、ハンニバルは「物理的にローマ軍を倒すこと」はできなくても、「精神的に恐怖を与えること」、「注意をそらせること」はできると考えました。
実際に、ハンニバルは、トレビアの戦いで戦力的には役に立たない象を使い勝利しています。
一見役に立たないものでも、目的を考えれば、使えるものになるとハンニバルから学ばされました。
まとめ
これから自分自身も含めて、何かに挑戦していく皆さんには、「不可能」だと感じることがたくさん降りかかってくると思います。
しかしハンニバルのように、不可能を細分化し、自分が持ってるものをすべて使えば、
道は開けます。
今日も読んでいただきありがとうございました。ハンニバルや古代ローマについて楽しく学びたいという方はこの漫画がおすすめです。
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夢を夢で終わらせない為に!夢をかなえる心掛けとは?【織田信長からの反面教師】
皆さんこんにちは!
今日は前回の記事の反面教師として、織田信長が感情的な行動をとった結果どうなったか、僕たちは何を学べるか書いていきます。
⇩前回記事
結果から言うと、明智光秀という部下から信頼をなくし、織田信長は本能寺の変で暗殺されてしまいました。
何故暗殺されてしまったのか。織田信長のストーリーを見てみましょう!
織田信長のストーリー
織田信長は戦国時代、つまり47都道府県がお互いに戦争しあっている時代の人です。
信長は愛知県の大名の息子で、若い頃までは「馬鹿野郎」とみんなから言われていました。周りの家臣(部下)から「信長が大名になったら国が滅びてしまう」と思われていました。
しかし蓋を開けてみると、信長は「馬鹿野郎」と言われながら、当時天下統一最有力候補だった今川義元に勝ち、
大阪の堺などの経済都市をより発展させ、当時最先端技術だった鉄砲を誰よりもたくさん手に入れ、
当時最強と言われた山梨県を基盤とする武田の騎馬隊にも鉄砲を使い勝ちました。
信長は天下統一までもう少しのところまで来ました。
そんな時、部下の明智光秀に本能寺で暗殺されてしまいます。
何故、暗殺されてしまったのか。
一番の原因は信長が普段、部下に感情的に接していたからだと考えます。
明智光秀は「裏切った人」というイメージが強い一方、とても優秀な人でした。
諸説ありますが、信長は普段、そんな光秀のプライドを傷付けるようなことをしていました。
結果、信長は光秀から恨まれ暗殺されてしまいました。
優秀な部下の気持ちを考えれば、感情的になっても考え直せたはずです。
なので今に生きる我々は、たとえ感情的になって怒ったとしても、一度踏み止まる癖を付けないと、いつか信長のような末路を辿るかもしれません。。
※ちなみ怒りの感情のピークは6秒なので、まず6秒堪えてみるといいかもしれません。
これから学べること
織田信長のように、その時の感情でとった行動がいつか自分に返ってきてしまい、人からの信頼を失ってしまいます。人からの信頼を失うと、仕事を失い食べていけなくなる可能性が高くなってしまいます。
なので私たちは、特に人と接する時も、感情的にならないように注意しなければいけませんね!^ ^
最後まで読んで頂きありがとうございました。
夢を夢で終わらせない為に!夢をかなえる心掛けとは?【天下人・徳川家康の心掛け】
皆さん、こんにちは^ ^
今日は夢を夢で終わらせないための心がけを戦国時代の徳川家康から学んでいきたいと思います^_^
徳川家康は一言で言うと、100年以上続いた戦国時代を終わらせ、260年続く平和な世界
を創った人です。
戦国時代とは日本の今の都道府県同士で、戦争を繰り広げてるとイメージすれば分かり
やすいと思います!
そんな家康の行動を見ると一つの共通点が見えました。
それは 感情に流されず、目的を見失わなかったことです。
家康は「鳴かぬなら鳴くまで待とうホトトギス」という詩ように、忍耐強く、チャンス
が来まで待つというイメージがあります。
ホトトギスが鳴かないなら殺してしまう織田信長や、なんとかして鳴かせようと手段を
選ばない豊臣秀吉と比べて、徳川家康は地味で受動的な印象を抱きます。
でも果たして、本当に地味で受動的なだけでしょうか?
僕はそうは思いません。
家康は天下統一という目的の為に、毎回の決断の瞬間に一貫して
一時の感情に流されず、「天下統一の為に何をすべきか」のみを考えていたのではないかと思います。
家康が感情に負けなかった二つのストーリー
織田信長がイケイケどんどんの時に、信長から徳川家の謀反を疑われ、「お前の息子を
殺せ」と要求された時も
感情に負けず「天下統一」を叶えるために、勝てる見込みが少ない織田信長と戦争しない為にも、息子を殺しました。
信長の死後、豊臣秀吉がイケイケの時代になった時も、かつて同僚だった秀吉に、最
後まで戦わずに秀吉の子分になる決断をしました。
「プライド」という感情に負けずに「天下統一」を叶える為に時流に逆らわず、「耐える」という決断をしました。
この二つのストーリーからも、家康は感情に流されず、目的を叶えるために決断を
したといえます!
僕たちが家康から学べること
僕自身も含めて、皆さん、「なんか疲れた」「めんどくさい」「眠い」「後でいいや」
「なんかムカつく」等の感情に負けてしまい、本来やるべきことを忘れてしまうことが
あると思います。
そんな時こそ、目的やかなえたい夢を思い出し、感情をコントロール
する必要があります^_^
実際、戦国時代に天下を取りきれなかった、織田信長、豊臣秀吉は目的こそあったもの
の、一時の感情によって行動を引き起こした結果、天下に届きませんでした。
まとめ
これから何か行動するときは「本当にこれが今すべきことなのか」と、冷静に感情
に流されずに行動し続ければ、日本一になれると思います!
最後まで読んでいただきありがとうございました^^